海辺の家(洋画)Life as a house

投稿者: | 2021年7月12日
海辺の家
原題 Life as A House
監督 アーウィン・ウィンクラー
出演 ケヴィン・クライン
    ヘイデン・クリステンセン
    クリスティン・スコット・トーマス
    メアリー・スティンバーゲン
    ジェイミー・シェリンダン
   
≪おすすめしたい人≫
コメディ要素のあるヒューマンドラマで感動したい人
ところどころに泣かせる要素が細々とある映画好き

≪ストーリー≫
25年間、建築設計事務所で模型制作をしてきたジョージ(ケヴィン・クライン)は
現在独身で海辺の崖の上のボロ小屋で生活している。
周囲の人には煙たがられているが、マイペースに笑って暮らしていた。
10年前に別れ、今は経済的に成功している男性と再婚している
ロビン(クリスティン・スコット・トーマス)との間には
息子のサム(ヘイデン・クリステンセン)がいるが、不良になりシンナーを吸い、
荒んだ反抗期を過ごしていた。



ある日突然、職場解雇を告げられたジョージは職場の帰りに倒れ、意識不明で病院に運ばれる。
もう残された時間が少ないことを知った彼は、それを誰にも告げることなく、息子のサムと共に、
それまで夢だった海辺の家の解体と新築にかかる。

≪みどころ≫
誰にも自分の病気を告げずに、笑って家を建てていくケヴィン。
グレまくってラリっているパンクメイクのヘイデンが変化して、
一切ダークサイドを感じさせなくなっていく笑顔。
(しかし、グレてる間はマンソンやリンプなど激しくダークなBGMが劇中で流れます。笑)
改めて前夫に恋心を抱くクリスティン。
冷たい夫かと思いきや、子供思いの父になっていくジェイミー・シェリンダン。
その他にも、思った以上のコメディ要素、“泣かしてやろう”とは感じさせない編集。


≪レビュー≫
これは泣いた^^泣きましたね^^
ネタバレというか、冒頭でも分かってしまうので言いますが、
ケヴィン・クライン扮するジョージは亡くなります。
“死”が絡んでしまうと、ストーリーはある程度想像出来てしまう。
そのシーンでどうやって泣かせるのかも想像してしまう。
でも、そんな想像は覆されてしまう。


「このシーンでキッチリ泣かせてやる」なんて、感動ものにありがちな作り方を
この映画の制作者はしていません。それは、現実の僕らの人生と同じ。
生まれる瞬間や死ぬ瞬間、その最初と最後の部分が重要なんじゃなく、
そこに行き着くまでに自分が出来ること、人に伝えられること。
その経過が“生きてきたこと”に意味を持たせるんだということを、
この映画は125分の中で改めて気付かせてくれてる気がしました。


言葉選びが下手で申し訳ないんですが、そりゃベタベタですよ、死が絡めばどんな映画でも。
でも、何というか、ジョージの命の終わりが映画の終わり!とか、
家を建てる作業の終わりが映画の終わり!感動した!って、スパッと終わってないんです。
その人の伝えたかったことを、家族それぞれが自分なりに受け止めて、
これからも生きていける、というか、終わりはないんだって感じたんですね。


また、ジョージを取り巻く人たちの複線もいくらか出てくるんですが、
その複線の結末がハッキリと映像にならない。観客の想像の余地を残してくれてる。
でも、「どうなったんだ!?」なんて気にならない。
それまでの彼の生き方で何となく分かるから。
そういった脚本や編集も素晴らしい作品だと思いましたね。


大喧嘩して会話が噛みあってもいないのに、自分自身全く理由が分からずに
和解してしまう、“家族のつながり”を見せたシーンも上手いなあと。


ちなみに、ヘイデンの作品の中では一番好きかも知れない^^
彼は顔の造形的にナイーブさや影のある顔なので、
どんな映画も暗めの雰囲気になってしまってるけど、
この作品は一番ダークサイドじゃない^^;