いのちの食べかた(洋画) 投稿者: dougafun | 2021年11月1日 0件のコメント 監督 ニコラス・ゲイハルター出演 現場で働く人々何故か気になってしまっていたので、ドキュメンタリーなのに見てしまった。≪注意≫邦題は『いのちの食べかた』になっていますが、ドイツ語原題の『Unser täglich Brot』は全然違う意味。実際の訳は“我々の日々の糧”という意味です。タイトルだけで大きくイメージが違います。よって、邦題の“いのち”に含まれる部分は、動物・果物・野菜・油の原料となる植物など。しかし、“いのち”に当てはまらない地下の岩塩なども“糧”には当てはまります。≪鑑賞に向いている人≫極端な菜食主義と動物愛護主義を掲げるには不向きドキュメンタリー好き・静かに淡々と進む映画好き・現場の作業音やほんの少しの作業者同士の会話以外流れないので、音も音楽もない映画が観られる人≪話の流れ≫流れとかってないです。鶏・豚・牛・レタス・トマト・ズッキーニ?・ひまわり・岩塩・リンゴ・アーモンドなどを飼育・栽培・屠畜する作業を淡々と映し出していきますし、流れもバラバラ。見逃したら後々困るような展開などはもちろんありません。日にちを分けて観てもいいし、途中で寝てしまったら巻き戻せばいいってくらい^^;≪みどころ≫もの凄い量のヒヨコの仕分け。ニワトリになりかけの大き目のヒヨコが大量に飼育される一体どれだけの距離があるんだって位に縦長の飼育場。アーモンドを振り落とすブルドーザーのような機械。穀物を栽培する何台もの巨大なトラクター。乳搾りの為に自ら設備内に入っていく乳牛。効率的に屠畜され、機械によって腹部をカットされていき、真っ二つにされたのにキレイでかわいく見えるぶら下げられた豚。魚をラインに乗せていく作業者の装備のカラフルさ。仕事の休憩に淡々とご飯を食べる作業者達。≪レビュー≫一切の情を誘う映像でもなければ、人の冷酷さを映し出しているわけでもない。または、この動物・植物たちに感謝しろ、と言っている訳でも、その作業を自分達の代わりにやってくれている彼らに感謝しろよ、と言ってる訳でもない。“糧”としての屠殺を効率的な作業として行っている現場をただただ如実に映し出す。監督が動物愛護や動物虐待などの偏った主義にない為、見る人の感情の介入がないよう、まさに現実的に撮影されています。また、ナレーションも全くないので、捉え方は観る人観る人で全く違う。全く偏りがない。(ジャック・ペラン監督の『オーシャンズ』は思想込みの偏りのあるドキュメントに見えたが。)自分達が日々食べているものが、どうやって作られているか?どんな人達が作っているか?ただそれだけ。植物はいのちとは言え、話さないので感情は入りにくいが、動物が屠殺されるシーンはさすがに残酷に映ってしまうかと若干の先入観もあったけれども、逆に食欲の湧いてしまった自分はおかしいのだろうか^^;観ていて驚いたのは、はじめに邦題の『いのちの食べ方』しか知らなかったので、動物しか出てこないと思い込んでいた自分がいたことでした。こういったドキュメントを見て、極端な動物愛護者は「命を奪うなんて残酷だ!あり得ない!私達は野菜しか食べない!」というのかも知れないし、そのことに対して「野菜だって命あるでしょうが!生きてるでしょうが!」って言おうと思っていた自分が、タイトルの『いのちの食べ方』から動物しか出てこないと無意識に思っていたこと。だから、この映画を観て改めて思ったことは、野菜や油や果物にも「ありがとう」だ、と。そして、十分に情の育った優しい子供達になら、いのちへの感謝を忘れないように見せるべきだと思いましたね。残酷な描写と捉えた人はその考えには至らないでしょうけども。ただ、ほんの数ヶ月前の、小学校のクラスで豚をペットとして飼い、大きくなったら殺して皆で食べた、という教育を正しいとは思いません。ペットと家畜を同じにしたら、絶対にダメ。情がズタズタに傷付くようなことで知るのは、命の大事さではなく、恐怖・不安・冷酷さ・非常さ・トラウマでしかない。